さぁお次はにのすけの番ですね。

にのすけ今では一番手を焼いています。それほど毎日パワフルに動いています。そんな、にのすけの出産は一番大変でした。

いちのすけが2歳3ヵ月の頃、2月あたりに妊娠が発覚しました。私の計画予定では、二歳差で産みたかったのですが、なかなかお腹に宿ってくれず、ようやく妊娠することができました。

やーーーっとキターーーー!と嬉しくなり、次は女の子がいいなと期待が膨らむばかりです。

今回も前回同様の産院で出産しようと決めていたので、陽性反応が出て一週間くらい待ってから病院へ行きました。

今度は心拍確認できるだろうと思って行ったのですが、今回も心拍確認できず、また一週間後に下さいと言われてしまいました。検査薬使用したのが早すぎたようです。。。また改めて行き、ご懐妊となりました。

この頃には悪阻もきていて、いちのすけの時よりも辛かったのを覚えています。

専業主婦だった私は、いちのすけの面倒をみながら何とか気を紛らわせようとしたのですが、もう辛すぎてパッタリと動けなくなってしまいました。

遊びたい盛りのいちのすけ。家にいるのも飽きてしまいます。家事も疎かになっていき、いちのすけもかまってあげられない。このままでは夫に全て負担がのしかかってしまうと思った私は、実家にお世話になることにしました。

実家に甘えてしまうとそりゃあもう動きません。食べ悪阻だったので、食べては寝て食べては寝ての繰り返しです。いちのすけは母や妹に任せっきりでした。この頃はリンゴと炭酸ジュース、夜中におにぎり等食べて気持ち悪さから逃げていました。当然太りますよね。

二ヵ月はそんな生活をしていました。

だんだん悪阻も治まってきたので、自分の家に戻り、外も春の陽気になってきたので、徐々にいちのすけを連れ遊びに行くようになりました。

出血もなく順調に進んでいく妊娠生活。

今回は大丈夫だーって思っていました。。。

8ヵ月になった頃、先生に「下に下がってるねー」    

ガーンΣ(゚д゚lll)

言われてしまいました。いちのすけを遊びに連れってって動き過ぎたのが悪かったのですかねー。

はい、また張り止めの薬の登場です。今回は貧血気味だったので貧血の薬も出されます。できるだけ安静にしていて下さいね。と言われました。まぁ安静になんてできる訳がありません。いちのすけをほっとくことはできませんので。

張り止めの薬を飲みながら、あまり自分の体に負担をかけない程度に家事、育児を続けていました。

なかなか、体の状態は良くならず、34週に入った頃に出血をしました。中量の出血だったのですが、一応病院にいき見てもらうことにしました。

子宮口は開いてはいないので、このまま様子みましょう。薬は頻繁に張るようだったら飲んでくださいとのことだったので、この日は病院をあとにしました。

何かあったら大変なので実家に行く準備をし、帰ることにしました。

出血は一旦止まったものの、夜寝ている時やたらお腹が張り出して出血が大量に出てきました。しかも止まりません。取りあえず朝まで待ち、電話をかけ、いちのすけごめんと謝り、急いでタクシーで病院に向かいました。

病院に着いたら、だんだんとお腹が痛みだしました。内診をしたのですが、子宮口は開いてはいなかったのですが、開いてしまう一歩手前のところでした。出血を止めるため中にガーゼを入れられ、入院となりました。先生から「これはね、おしるしだね。34週はまだまだ産んでいい週数ではないし、体重も2000gしかないから、産まれないように病院で安静にしていましょう」

私、Σ(゚д゚lll)ガーン いちのすけ申し訳ない。ごめんなさい。という気持ちでいっぱいでした。

陣痛も軽くきていてらしく、すぐに点滴が始まります。

なんの点滴なのか聞くと張り止めの点滴をしているとのことでした。ここからは、シャワーの時以外は点滴しっぱなしです。

血管が細い私は、なかなか針が入らず、看護師さん達も苦戦していました。でも、ずっと同じ場所に張りが入っていると痛くてしょうがなく、2日と持ちませんでした。色んな所に刺しているので腕は痣だらけ。お腹も張るのでベットにずっと横たわってることしかできませんでした。入院生活は辛いです。

だんだんと出血も止まり、このままいけば退院になるかなぁと淡い期待をしていました。34週5日目、検査をし、赤ちゃんの体重を見てもらいます。

まだ2200g。先生「2500gあれば産んでもいいんだけどねーダメだねー」私の淡い期待も崩れ落ちました。

34週6日の夕方、なんだかお腹の張りが止まりません。点滴の速度をあげます。が張りは治まらず、痛みも出てきました。間隔は30分に一回くらいのペースです。

夜、痛みがちょっと強くなってきたので陣痛室に移動しました。熟睡している間は痛みはありませんでした。ただ熟睡も3時間くらいしかできず、あー…痛い。という時間のほうが長かったです。

朝になり痛みが10分おきになってきます。いっかいエコーで赤ちゃんの様子見てみましょとなり、赤ちゃんの体重など見ていました。あまり増えることもなく最終的には2250gくらいでした。赤ちゃんが下に下がってることもあり、正確な体重ではないですけど、やっぱり小さすぎでした。

痛みが3分おきになった頃、もう諦めて産むしかないんじゃんないという話なり、私も覚悟決め、子宮口が開いてるか見てもらいました。

そしたら、「あー7㎝開いてる。このまま分娩台いきましょう。」

えーもう産むの!?早っ わー助産師さん動き早っ 準備早っ

あれよあれよと準備が進んでいき、私の体の中に入っていた薬も抜いていきます。この時、私まだ笑ってられるくらいの余裕がありました。

体の薬も抜けきった頃、段々と赤ちゃんが出てくる感じがわかります。そして、いきみたくなります。助産師さん「いいよーゆっくりいきんで」

私、前回同様、声を出し過ぎないように怒られないように、静かにいきみます。頭が見えてきた頃が痛みのピークです。「いたーい!痛い!」叫びます。

もうヤダという気持ちが全面出ていたのを覚えています。早く終わらすためにいっきに力を込めます。

おギャーおぎゃー!    産まれました。にのすけの誕生です。

これまた30分くらいで産まれました。体重はなんと2423g。産まれる前に図った体重より200g差がでましたね。

それでも2500gいかないし、35週で産まれるし、また早産の低体重出生児です。ほんとにほんとに小さくて、早く産まれちゃったけど、可愛くて仕方ありません。出てきた後はすぐに保育器に行きました。

その後、今回は下の方は切らずに済んだので、裂けたとこだけ縫って、体など綺麗にしてもらい、部屋へ移動しました。

はぁー疲れたーと休んでいた矢先、先生が部屋へ来ました。赤ちゃんの状況を教えに来たのです。

「赤ちゃんにミルクを飲ませたのですが、血糖が上がってこない。普通ミルク飲ませると血糖って上がってくるんだけど、血糖が上がらなかった。早く産まれた子っては稀に血糖が上がらない子もいるんです。この病院では血糖下がった子は見られないから、NICUのある大きい病院に転院します。」

私、もうびっくりというかがっくりというか…複雑な心境でした。産まれてまだ何時間も経ってないのに、他の病院へ搬送されるわが子を見て、ちゃんと産んであげられなくてごめんね。という気持ちでいっぱいでした。

その日の夜からは後陣痛との闘いでした。2日くらいは静かにしていたのですが、3日目からちょっとの母乳をわが子のいる病院へ届けに行きました。

わが子はたくさんの管につながれ、保育器の中で懸命に生きていました。もうかわいそうで仕方なかったです。

4日目、普通の人よりも早めの退院許可をいただき、その日から毎日母乳を届けるようになりました。保育器の中から哺乳瓶であげ、飲み辛そうだなと思いながらも必死で飲んでる姿をみて、ホッとしました。

それから半月毎日NICUに通いました。保育器は5日くらいで出て、母乳も飲んでくれるようになりました。体重も2200gくらい下がったものの、ぐんぐん増えていき、半月かかったけど2500g超えてようやく退院となりました。

ホッと一息、家に連れ帰れる嬉しさ、いちのすけがお兄ちゃんなってくれるかなとか楽しみが待ってると思うとウキウキな気分でした。

にのすけは一番大変な出産になったけど、今ではすごく元気にそして一番の甘えん坊に育っています。そこがまた可愛いんですけどね。